創業50年神社仏閣設計施工 織戸社寺工務所日本の美と匠の技を未来に傳える

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宮大工の本当の仕事とは? 私が秩父夜祭から学んだこと

秩父夜祭(ちちぶよまつり)

私の宮大工としての第一歩は、埼玉県秩父市の社寺専門の工務店で修業した五年間でした。

秩父で過ごした五年間で、私は本当に多くの事を学びました。その一つが「お祭り」という文化です。

秩父と言えば、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に、日本三大曳山祭の一つに数えられる、十二月の「秩父夜祭(ちちぶよまつり)」はとても有名です。その歴史は三百年余りとも言われ、秩父市の人口の約五倍に相当する三十万人以上の人出で賑わいます。

お祭りの数日間は笠鉾(かさぼこ)二基と、山車(だし)四基(国重要有形民俗文化財)が、勇壮な屋台囃子(はやし)を打ち鳴らしながら、秩父市内を曳き回されます。もちろん、お祭りの期間中は、市内中心部は車両通行止めになります。

「動く陽明門」とも言われるほど絢爛豪華な六基の山車は、朝、市内各所から出発し、まずは秩父神社に立ち寄り「宮参り」をします。

その後、再び町内を曳き回し、夕方から夜にかけて秩父市内の中心地に設置された、最終的な集合場所である「お旅所」を目指します。山車は夜十時ごろにお旅所に到着します。

その直前にある急勾配の「団子坂」を、総重量は約二〇トンとも言われる山車が力強く登っていく、その時間帯がお祭りの最高潮となるため「秩父夜祭」と呼ばれています。

そして何より忘れてはならないのは、このような賑わいのお祭りが、「秩父夜祭は、秩父神社の例祭である」という点です。つまり、神社の祭禮として毎年行われるお祭りなのです。

この時ばかりは、秩父市民はもちろん、地元を離れて都会に出ている若者たちも集まり、地元の氏神様に「その年の無事を感謝し、翌年の御加護を願う」というお祭りであり、秩父に住まう人々の一年の総決算として親しまれてきました。

そんな風に、「祭りが町全体に広がり、日本有数の祭りとして定着している」という文化に、私は衝撃を受けました。

「秩父市民の殆どの人が協力し、町全体のお祭りが造られている。そして、その中心が神社なのだ」ということに感激し、社寺建築には、そういう大きなパワーがあるということを体感できたのです。

私は、この経験から、「神社仏閣は、地域の中心となって、多くの人を集め、地域を活性化させる」という「善の循環」を起こすことができると確信するようになりました。

そして、宮大工の本当の仕事は、本物の社寺建築を造ることで、神社仏閣が地域の中心になるためのお手伝いをすることだと考えています。

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